東日本大震災とその翌日に発生した長野県北部地震から10年が経過しました。
当時を思い出すと、未曾有の災害とそして原発の事故でこれから日本はどうなってしまうのかと真剣に考えたことを思い出します。
宮城県と長野県栄村にはそれぞれ被災後1ヶ月程経ったあとにボランティアで片付けのお手伝いにいきました。
仙台市のキリンビールの工場の近く、蒲生地区に行った時にその風景を見た時に戦慄がはしりました。津波で海の近くから内陸に向けて建物が沢山あったであろうその場所が海沿いは何もなくなり更地状態になっておりそれがまさに見渡す限りそんな状態、そして内陸に向けて徐々に建物の形がハッキリとしてくる。
海のない長野県に生まれ育った私にとってはその大津波の爪痕は衝撃的な光景であり、人生における価値観を大きく変えました。
また、栄村はまだ雪も残る中で、こちらはまさに大地震が発生したというのがハッキリわかる建物の崩壊や荷物の散乱など被害の形がそのまま残る悲惨な状態でした。
日頃、防災に関しては会社でも自宅でも実際それほど準備出来ていないのが現状です。
しかし、この時期になると改めて思い返して準備をしたりしています。
いまだ、行方不明者の方がいらっしゃる状況で本当に心が痛みます。
そして、現地の方々にとってはまだ震災は終わっていないのが現実なのだと思います。
私に何が出来るわけでもないのですが、少なくともそういったみなさんが本当に困った時にはなにかしらご協力が出来ればと考えます。
一歩一歩前へ進めるよう、心よりお祈りしております。